マリア・モンテッソーリ

「平和は子どもたちからはじまる」と世界中に伝えたイタリアの教育者


私たちが住んでいる地球には、たくさんの生き物が住んでいます。
どんな生き物も、元気に生きて育つためには、助けてくれる人や物が周りに必要です。
人間も同じです。ある時、赤ちゃんは体全部を使ってハイハイを始めます。その時、裸足になり、たたみのような気持ちのいい床があれば、たっぷりとハイハイの練習ができます。少し立てるようになった赤ちゃんは、しっかりとした支えのものがあれば、つかまりながら、少しずつ歩き始めます。
では、歩き始めた子どもにぴったりの場所はどこでしょう。
それは、自由になった『両手をたくさん使えるところ』です。例えば…ちぎる、むく、拭く、切る、洗う…など、手で色々なことのできる台所は、この頃の子どもが生き生きと過ごせる場所の1つです。

人間だって、何者にも邪魔をされない、その時々にぴったりの気持ちのいい場所があれば、素直で素敵な大人になることができる!

そのことに気づいたマリア・モンテッソーリは、世界中に子どものための学校を作りました。マリアは、どんな学校を作ったのでしょうか…

「国際モンテッソーリ教育101年祭実行委員会・編」より抜粋


       
マリア・モンテッソーリは、今から100年以上前にイタリアで初めて医学博士になった女性です。医者の仕事をしながら、マリアは脳の病気の勉強もしました。
ある日、マリアは脳に障害を持つ貧しい子どもたちが入院している病院を訪ねました。
何もない部屋で床をはいずりまわり、パンくずをいじる子どもたちを見て、マリアは考えました。
「この子たちは、手を使いたいんだ!」
観察や研究に励んだマリアは、脳に障害を持つ子どもが通う学校を作りました。
その学校には、たくさんの“手を使う教具”がありました。すると、次第に子どもたちは、健常の子どもたちと同じ事ができるようになったのです!

それから7〜8年経った1907年の1月6日、ローマのサンロレンツォという町に初めて、障害のない子どもの通う保育園『子供の家』を開きました。
貧しい人たちが暮らすスラム街でしたが、子どもたちは、自分の背の高さに合った洗面台できれいに手や顔を洗ったり、10本の円柱を丁寧に出し入れしたり、小さな子どもサイズの道具を使って、掃除をし、庭で草花を育てるようになっていきました。
「乱暴だった子がやさしくなった」「しゃべらなかった子が楽しそうに話している」
親たちは皆、驚きました。

『子どもの家』は、イタリアだけでなく、外国にも広まっていきました。
スペイン・イギリス・ドイツ・アメリカ・アルゼンチンなど、マリアは学校を作るため、世界中を旅するようになりました。第2次世界大戦が始まった頃、インドに招待され、初めてアジアへ向かいました。
こうして日本にも伝わり、北海道から沖縄まで、全国にモンテッソーリ園があり、今では世界110カ国に22,000ヵ所のモンテッソーリ園があります。


↑モンテッソーリ子どもの家100周年を記念して発行されたイタリアの切手です